
「好き」から「手段」になり…
あなたは英語を「好き」ですか?
私はこれまで、ずっと絶え間なく英語を勉強してきたわけではありませんが、英語を頑張ろうと思い始めてからは、かなりの年月が経っています。
まずはじめに、私自身のそのような英語学習歴を少しご紹介します。
大学からの独学
高校卒業後はコンピューター関係の専門学校に行くつもりだったので受験勉強はほとんどしませんでしたが、親の方針で急遽大学に進学し、入学してから独学で英語を勉強するようになりました。
卒論ではオーストラリアをテーマに選び、当時は英語が「好き」でした。
偶然できたツテを頼りに、自分で連絡を取り、夏休みに2年連続でオーストラリアでホームステイをさせてもらいました。
当時すでに企業インターンとして働いていたため、行きの飛行機で初めて英会話集を開くような、完全に準備不足の渡航でした。
でも、そのときに出会ったオーストラリア人の友人たちは今でも大切な存在なので、当時の英語力の伸びはさておき、行って良かったなと思っています。
英語が「手段」に
ところが、社会人になってから翻訳という職業を意識し始めたあたりから、英語は「好きなもの」ではなく、「仕事のための道具や手段」へと変わっていきました。
独学が得意ではなかった私にとって、限られた予算と情報の少なさの中で、手探りで学習法を模索していた記憶があります。
その後、翻訳学校に少し通いましたが、そこで痛感したのは、「英語力がまったく足りない」という現実でした。
オーストラリアでワーキングホリデーをするか検討したりなど、紆余曲折を経て、留学生サポートの良さに定評のある学校が多いアメリカに留学することになりました。
その時ようやく英語力を伸ばすための足がかりを掴めたように感じました。
やみくもな3年間
「手段」から「義務」に
実はその時点で、「語学留学では英語力は大して上がらない」ということは、すでにわかっていました。
だからこそ、語学留学をせず、よりレベルの高い英語の環境を求めて、“英語を使って学位を取る”ことを目的に、留学生サポートの充実した短大相当の学校に直接入ることにしました。
ワーホリを検討したときに、一度オーストラリアに滞在し、訪問者ビザのままお試しで語学学校に短期間通ってみた時期もありましたが、基本的にはずっと日本で、不規則でやみくもな勉強をしていただけでした。
気づけば年齢もそんなに若いとは言えなくなっていて、その影響か、もともと低かったリスニング力がなかなか伸びず、留学中はとにかくリスニングに苦労しました。
その結果、英語でのコミュニケーション力が伸びず、英語そのものを「好き」と感じることも次第になくなっていきました。
勉強は義務となり、耐えるものになっていきました。
高過ぎた目標
私は結局、目指していた大学には出願すらせずに帰国しました。
2年が過ぎた時点で、超有名大学の理工学部に編入するという、謎に高すぎる目標が現実的ではないとわかったからです。
ちなみに私は完全に文系で、日本でも数学や物理が大の苦手でした。
そのため、数学や物理の授業を英語で理解するのはどうしても無理がありました。
本当に、起きている間は一瞬も休まず勉強していましたが、Aを取れる見込みがなかったため、コマ当たりの授業料の返金が可能な期間内(3週間)で諦めてしまいました。
決して協力的ではなかった親から学費を借りていたこともあり、「人生が変わるような進路でなければ意味がない」という強い思い込みがあったのです。
そこに行けば、コンピューターサイエンスを専攻でき、アメリカの一流大卒ならば、外国人というかなり不利な条件でも、アメリカで再就職ができるかもしれない、たとえそれが駄目だったとしても、日本でプログラマーか技術翻訳者になれるのではないかと考えていました。
仕方なく、ビザが切れるまでの残り1年は、せめて英語力が上がるよう、課題以外のこともがんばりました。
そして、帰る前に少しでも勉強期間を延ばすために、ビザが切れるのに合わせて、アメリカの学校から、アメリカ人学生たちと一緒にイギリスへ1学期間の留学をするという荒技も繰り出しました(奨学金を一部もらえたため)。
ネイティブが通う学校で、授業も含めて毎日12時間以上勉強し、成績も記録上はオールAでしたが、それでも進学自体を諦めてしまったことは、今でも非常に残念です。
自己否定による本末転倒
なぜ他の学校や専攻に挑戦しなかったのか。
お金と年齢を気にし過ぎて、自己否定が強かったことが一番大きい理由です。
最初からしっかり戦略を練って、プランBも常に用意して、時に妥協もして、せっかくのアメリカ留学という大きなチャンスを最大限に利用すればよかったのに。
もともと高い英語運用力が欲しかっただけなのに、ほとんど可能性がない理系の学位を取ることにいつの間にかすり替わってしまった目標。
しかも、自己否定によって、高い英語運用力を手に入れる大きなチャンスすら自ら諦めてしまう結果に。
その3年間も、まさに「やみくも」でした。
今まで来た道を振り返ってみると…
その後、思いがけず長い英語学習のブランクを経て、ようやく最近になって、リハビリのように英語を学び直しています。
今になって初めて、語学学習そのものを少し冷静に見つめ直せるようになってきた気がします。
- 本当はどうすれば高い英語運用能力が手に入ったのか。
- 英語学習の前提として何が必要だったのか。
- いつになれば、どうなれば、「英語ができます」と胸を張って言えるのか。
- この長い英語学習経験を、誰かのために生かせないか。
- そして――私が英語を学び続ける本当の理由とは何なのか。
最近は、そんなことばかり考えています。
留学後の英語力は?
肝心の英語力はどうなったかと言うと、帰国してまず受けたTOEIC S&Wはそれぞれ180点、その後受けたTOEIC L&Rは905点でした。
努力の割にスコアがあまり高くないことに対する、ただの言い訳ですが——L&Rのほうは、真夏で試験前に水を飲みすぎてトイレに行きたくなり、集中できず途中退室しました。
当時は一度トイレに行くと教室に戻ってこられなかったため、そのまま試験終了に。
ただ、そのアクシデントがなくても、違いはせいぜい10~20点程度だったかもしれません。
実は、留学中、英語自体を学んだのはほんの数クラスだけで、それ以外は英語を使って何かをするという形式でした。
ずっと下宿先(香港人家庭だったので、ホームステイとは少し違いました)で部屋にこもって課題に取り組む日々で、文法や発音といった基礎を見直したり練習したりする機会は全くありませんでした。
課題ができればそれでよかったので、/l/ と /r/ の発音の違いすら、ほとんど気にしていませんでした。
先生方は留学生に慣れていて、チューター仲間のネイティブの友達は優しく、日本人は日本語で話してくるし、日本人以外の友人たちも英語に強い癖があったので、発音についてあまり意識せずに過ごせてしまったのです。
ライティングは結構頑張ったと思いますが、リーディングは本当に時間がなかったので、膨大な範囲から必要な情報を見つける力が付き、そのせいで細かい表現のインプットの積み重ねは少なかったと思います。
つまり、ネイティブと競える位、課題を仕上げる力はついたのですが、英語自体は調べたり、何回も、下手すると何十回も読み直したりして仕上げているので、試験の短時間一発勝負ではアラが出てしまうということだったのかなと自分では思っています。
今振り返ると、帰国後の英語試験のスコアには、納得といえば、納得です。
このブログで伝えたいこと
このブログでは、私自身が歩んできた長い学習の試行錯誤と、その中で見つけてきたことを、少しずつ振り返っていこうと思います。
留学前も留学中も、今思えばもっと良いやり方がたくさんありました。
「なんてもったいないことをしたんだろう」と思うことが多すぎて、もはや「後悔」という言葉では片づけられない思いがあります。
私の“やみくも英語学習”の記録が、誰かが同じ遠回りをしなくてすむための、ささやかなヒントになれば——そんな気持ちで、書き始めることにしました。
ところで、あなたはご自身がどんなタイプの学習者か、考えたことがありますか?
次回「#001 自分はどんな学習者?――まず“学び手としての自分”を知ろう」では、学びの出発点として「自分はどのような学習者なのかを認識する必要性」について書いています。